昨日、美術教室14年目Mちゃんに、
「先生、卒業式の時泣いた?」と質問された。
はい、泣き虫なので沢山、泣きました。
でも、もっとも心に残る卒業式は 高校の卒業式でした。
進学校でしたから 芸術系の大学を目指す人間は異端児。
偏差値落とすから、大学入試センター受けるなといわれたなあ、
本当に勉強できなかったから言われて当然だけど
周囲に反対をされての美術系希望だったので 絶対に負けねえ
絶対に第一希望に受かってやる 何より 絵がうまくなりたいの日々。
学校の勉強はもう、関係なし、朝早く行って 夜遅くまで隠れて 自習になれば美術室で描く日々。
友達はいらなかった。甘えあう存在ならいらないと 思っていた。
女の子が珍しく多いクラスでキャピキャピしている子もいたけれど
私を含めて周辺は 一匹狼系の子が多くて お弁当今日一緒にする?今日はいいや じゃまた
みたいに 変な集団意識が無いメンツで
その年代に良くある”一人じゃいられない”女の子とは一風変わった
ある意味一筋通った人たちがクラスにいて
私も含めて ま、一人じゃなんだからのときだけ 集まっていた。
(群れを作らないところは今も同じ!)
その一人が松崎寛子さん。
声楽科を目指して時間があればお江戸に通ってレッスンの日々。
同じく美術系予備校に毎日曜日に通っていた私とも自然と仲良くなっていた。
卒業式、
はやいとこここから出ていって 絵を描く毎日にしたい
(家から追い出されていたので既に一人暮らしをしていた)
次の日の実技の一時発表を前に気持ちは既に 駅に向かいつつあった。
涙なんてうかばねえ じゃあねえ バイバイ~~みたいな感じ。
式が一段落したあと 誰かが最後のお願いがあります!というのが
習わしになっていて その時 堀内幹氏(ミュージシャンになってます)が
最後にみんなで歌おうぜと あおげばとうとし を歌うことに
(ちなみに堀内氏はこの事実を全く覚えていなかった。。。。。)
出席番号が隣だった 松崎寛子さんは 式も隣。
彼女はそれまで歌われた 君が代も 校歌も 蛍の光も
みんなと同じ声量に落として歌っていたのだけれど
でも、彼女の 高校生活、最後の歌は違った。
本気で歌ったのである。
彼女から出てくる声のふくらみに驚き感動し
彼女が今まで私たちの前では見せなかった 彼女の努力が声となって
体育館に響いている。
寛ちゃんも頑張っていたんだなあ 夢に向かっていたんだなあと
一緒に頑張っていた人の存在を心から感謝した。
高校三年間の 私のちっぽけな苦しみもどどっと あふれてきて
大泣きしてしまった。
今でも、思い出すと泣いてしまう。
それが卒業式の思い出。
今日は3月10日、東京大空襲もあった。
明日は3月11日、東北大震災も起こった。
ふと、3月10日はつい最近まで母校の卒業式の日と決まっていた。
(今は変わっています。)
そうか、、、今日は10日だから余計に思い出しちゃうんだなあ。
松崎寛子さんとの縁は綿々とつづき
6月からの講師展では彼女にお祝いコンサートとして歌ってもらいます。
6月3日(日)13:00~頃から


一緒に歩んできた人に また、お力添え頂きます。
また、皆様もご一緒に感動して下さい。
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