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みんなはひとつ ひとつはひとつ

千葉大の学生さんと共に行ったワークショップのご報告です。

Wi-CANのアーカイブには長文すぎましたので成仏させる意味も
含めて このブログに載せさせていただきます。

乱文 長文 お許しください。


みんなはひとつ ひとつはひとつ

こまちだ たまお

 Wi-CANのメンバーである門脇郁実さんより 里山ワークショップのお話を
頂いたのは11月初頭のことであった。ワークホーム里山の林みね子さん 
Wi-CANのメンバー お三方を交えてのミーティングで 林さんより 障害者も
そうでない人もみんな一緒になる時間をとのお話が出た。
そのお言葉がキーワードになって 今回のワークショップを考案し
この話が始まる。

 みんながひとつになる瞬間 と ひとり1人、それぞれに個性があり その個を互いに
認め合う瞬間を感じられるワークショップを築きあげたいと思った。
知的障害 身体障害 精神障害 大人 子供 すべてを越えて一緒に作り上げる空間を
アートの力を借りて構築したかった。


 ここで今回のワークショップの趣旨をご理解頂く上で僭越ながら自己紹介をさせて頂く。
私は千葉 九十九里浜南に位置する 上総一ノ宮で生まれ育ち 現在は 地元に戻り
<たまあーと創作工房>という小さなアトリエを開催しながら 絵を描く日々を送っている。

 私の名刺には2つの肩書き。ひとつは恐れ多くも 美術家  
もうひとつは美術を通じての共育活動人。絵を描く、アートを生み出す人間だからこその 
美術による教育(時には福祉よりであったりするのだが)の見解を見いだそうとしている。
美術を教える立場より 一緒に作品を生み出す目線を大切にしている。
 私にとって絵を描くエネルギーの源に海が不可欠であり 教育には自然が必要だと
感じたのも九十九里に居を構えた理由の1つである。

 千葉の田舎にはまだ美術系の教室は少ない(公民館活動などは別として)
そんなこともあって車で約40分かけて足を運んでいただいている方などもいる。
 現在の生徒数は100数名。教室には自閉症 脳性麻痺 といった様々な障害を
持った方達も通ってきてくれている。精神を病んでいる方もおられる。

 看板に掲げて集まって頂いているわけではない。皆さんは美術・絵を描くことでの
なんらかの手助けをアートの力に求めいているのであろう。自然と様々な思いを持った
方々にお越し頂いている。
来るもの拒まず。いえいえ 拒まないのではなく 誰でも大歓迎。
教室を訪ねてくださった、それだけでもご縁があるのですから そのつながりを
大事にして そして、私なりにそれぞれの人の持ち味を生かしながらアートの役割を
伝えていきたい。と考えている。

 私はいつもアートの前では見る立場でも 作る立場でも誰でもが平等だと思って
いる。
これが答えというものがなく 作者となるものが その人の命を削って賢明に
生み出した、もうそれで 十分にアートとしての価値はあるのではないかと思っている。
 このような大義名分のもと私は日々活動をしてきたのである。

ミーティングでの林さんのお言葉 アートによって それぞれのラインを透明にするの
趣旨はまさに私の目指しているところであった。
 

 そこで今回のワークショップとして生まれたのが みんなはひとつ ひとつはひとつ
であった。


 このワークショップは2つのステージに分かれる。

ひとつは どんな人も混在する状況で共同作業によって生み出すアート。
もうひとつは個々の世界を深め、個人を表出する時間とそれによって生まれたアート。

 共同作業は真っ白な細ナガ~イ障子紙をだ~~と広げて 思う存分絵の具で
染め上げてもらうこと。道具は筆などのまっとうな道具だけでなく ボール ビー玉 
スポンジ 箒 洗車用ブラシなどなど 挙げ句の果てにお玉など 絵を描くイメージを
払拭するものばかり用意した。

 個人作業はその染められた紙をそれぞれちぎって板の上に貼り合わせて作品を
生み出していく。
というように カリキュラム指導案を捻出したのである。実際の様子は後に述べさせて
頂く。



 今回のワークショップには2つの責務が私にはあったように思う。

ひとつはワークショップの当日を成功に導くこと。
もうひとつはWi-CANのメンバー すなわち 学生との関わりである。

前者はファシリテーターとして呼ばれたのだから当然の任務であるが 
後者はいわばお節介ともとれるかもしれないし また、深い関係性を築かな
ければいけなかった状況でもあったともいえるかもしれない。
 

 ワークショップを実施する。それには2つの流れがある。
ひとつは 当日の計画 もうひとつは 当日までの計画。
当日の計画はどのようにワークショップを実施するのか 流れを構築すること。

もう一方はワークショップを行うに当たっての諸道具などの手配 参加者を集める
広告などの活動である。当日に参加者が想像しそうな行動しそうな あらゆる
可能性を踏まえて200%の用意をし そして、沢山の皆さんに人にご都合をつけて
来て頂くための努力をする。
こちらは地味な作業で段取りを見極めなければならない。

 お話をいただいたのが11月。実施日は12月 まだ日も場所も決まっていない。
私の常日頃の段取りならばすでに広告を打っていてもいいタイミングである。
そこから駆け足でカリキュラム指導案・進行表を決め進んでいく。
開催までの期日が無くても段取りがはかどれば成功へ導ける 
そう思ってこのお話を引き受けさせて頂いた。

 しかし、一転二転 開催場所が決まらない。
広告の遅れ、レギュラー参加者への伝達ミスなどが伝わってくる。
正直申し上げてワークショップ準備の段取りの点から申し上げたら 
私の数少ない経験上であるが今までの中で最悪の状況であった。

 単に実施日までの日が短いのが理由ではない。学生がこういったことに
不慣れであったこと。
そして、私、始め このワークショップに関わっている人たちとのコミュニケーションの
差異を感じずにはいられなかった。
約束をすることが苦手で どこまでが相手の範囲でどこまでが自分の領域なのか 
読む力が弱い(まだ、経験値が浅いだけなのかもしれないが)そんな世代。
そんな感じを受けた。
 
 画材・道具の準備は当然として 広報活動等もお手伝いさせて頂いた。
人が集まらなければワークショップは成り立たない。出来る限りの人脈を頼って
みた。
ここで地道に活動して来たことで生まれたつながりが活かされた喜びを得た。

 私が立場を越えてやり過ぎてしまったのではいう反省もある。
しかし 学生 そして、ワークショップ参加者とともにたくさんの成功体験をしたい!
その欲望のままに 行動させて頂いた。
時にはきつい言葉も交えて 真っ正面からの関わりを私なりに持たせて頂いた。
(なので 失礼の無い様に報告にも同様にはっきりと述べさせて頂きます。)
学生だからと言う甘えは通用させては互いに学びにならぬと思った。

 ここまで 深く関わろうと思ったのは現在の大学生は 私が美術教育に携わる
ようになってから18年、ずうっと園児から成長に寄り添ってきた世代であるからに
他ならない。
簡単に申せば ゲーム ポケモンなどに染まり 携帯電話が当たり前のように
思春期から手にできた世代がどのように社会の歯車として関わりを持ち 
そして、行動を起こすときに 何がプラスに働いて 何がマイナスになるのか 
どのように鍛錬されていくのか 見てみたかったのである。
あのときの素地がどんな形、質感の表情を持って大人になって来たのか 
肌で感じたいそんな 好奇心もあった。

 また、私が行動している美術を通じての共育活動も私が大学二年生から
始めた、幼稚園の放課後を借りての教室から始まっている。皆さんと同じ様に
学生時代からの活動が源になった。
このワークショップが人生の軌跡を描くきっかけになってもらえたらうれしいという
思いもある。

何より 私を育てて下さった皆さんへの恩返しが学生さんとの関わりで出来ると
良いなという私的な思いもあった。

 最も 面倒くさくて 大変なことが ワークショップまでの段取りであるが 
ここをスムーズに運べるか 人に信用される行動が出来るかで 参加者の
有無が決まる。

 ワークショップに参加したいという気持ちになっていただかなければならない。
それはかっこいいチラシを作ればいいだけではない。
人は人とのつながりの中で結びついていく。
丁寧な段取り 小さな言葉がけ そんな些事が信用となって 参加してみようか
という心を動かすのだと思う。
 下地をいいかげんにした作品はいくら表面を繕って格好を良くしたとしても 
不出来な下地は見え隠れする 伝わるものも伝わりにくくなる。
信頼関係を築きあげることは美術にも通じるかもしれない。

 うまく運ばないワークショップまでの道のりである。
しかし、武士に二言はない 最後まで貫き通すぞと めげない気持ちに
学生さんも私も変化する。
 ともかく一つ一つを丁寧に塗りつぶしながら当日の準備は続く。

 
 紆余曲折あったが 懸念された参加者の人数も林さんのお声がけ、
ご尽力によって定員を超える人数の方にお集まり頂けた。



 ワークショップは大功であったと思っている。ともかくワークショップは
「楽しかった!」
この一言に尽きる。そこまで豪語出来るほどのものだったと思う。

自分への反省しきりではあるが。


 当日の様子を述べさせて頂く。


 門脇さんの立案でアイスブレイキングを行う。
まずお互いふれあうことで生まれたコミュニケーションがそれぞれが持つ壁を
薄くしたといえる。
大成功への第一歩。
アイスブレイクキングで自然な流れで出来た3グループで共同作業が始められた
のも良い進行であったと思う。


 そして、共同制作へ。ここで大活躍をしてくれたのがWi-CANのメンバー
菅井さんだった。
彼が先頭切ってはじけ飛んで 絵の具を障子紙に思いっきりのせてくれたこと。
このことが 参加者の表現の突破口を開いてくれたと思う。

 その彼は子どもの頃から近所のアート教室に通っていたという。
自己解放をする彼なりの手段と喜びを培っているのだと思う。彼は美術系ではなく
工学部に属しているとのお話も 幼少に美術を親しんだ子が美術の世界だけでなく
そのほかの分野にも旅立ってくれていて それを忘れずに 発揮してくれている 
また、彼の目指す分野でも役立ててくれるであろうという希望がみえたことは 
子ども達にアトリエを開放しているものとして励みになる出来事だった。
 
 菅井さんのお陰で 参加者の絵の具まみれの表現は益々進んだ。


 粉絵の具を蒔く人。絵の具を掃く人。こぼれててもOK!その絵の具を障子紙に
染みこませて表現にしてしまえば良いのだから!

思いついたやり方 偶然出来たものが 作品として成長し息づいていく。

それぞれが 楽しい様にやりたい様にアートの海で時間を費やしている。
その瞬間、それぞれが持つ境界が消えていった。

どなたが 障害者?どなたが 大人?こども? スタッフ???? 講師って??!!
とそんなことを考えるのが無駄に感じられる時間が生まれた。

なんて楽しいんだろう。笑顔がひっきりなしにあちこちから出ていた様に思う。


 水分を多く含んだ 水彩絵の具で半透明になっ 障子紙が天女の羽衣の様に
天井の梁にかかり 宙を舞う。地をくるむ。

窓ガラスに貼り付けて絵の具を流した障子紙はガラス越しに光を通過させて
半透明の柔らかい色光を私たちに注いでくれた。
Wi-CANPが暖かいやんわりとした空気に変わった様に思った。 


 みんなはひとつ の時間が作り上げられた。


 やり通したゆえの一区切りの空気が皆さんから読み取れたところで
(時間が来たので一区切りをつけたのではなく 状況を読んで判断をした。
アート活動は定刻通り進めることが大事なのではなく 気持ちが重要であると
考えるからである) 次の展開のお話に移った。


 各々の制作に入って頂く。30cm角の板をお渡しし 彩色した障子紙を手で
ちぎり のりで貼り付けていく。

 3グループの垣根を越え 欲しい色 欲しい質感を求めてそれぞれが
Wi-CANP内を旅していく。
皆さん思った以上に容赦なく紙をちぎっていくのが嬉しい。
染め上げた紙はみんなのものという気持ちと それぞれの感性にぴたっと
合うものをどん欲に探していく思いの方が他者の領域の存在感より 強く出たから
なのか 皆さんは奥地まで探求していっている。
心を開くのが苦手になっている人が進んで歩んでいくのは大変嬉しいことだと感じた。

 制作中は心地よい静寂が生まれた。それぞれの世界に入り込み没頭しているが
故に 音が消えていったのである。先ほどの共同制作時の喧噪が塗り替えられた。

 この集中した時を守るか否かが 教育者と美術制作をしている人間が
ファシリテーターになったときの違いが出る瞬間かもしれない。

教育者はこの時に生徒に入り込んで行き指導をするのを目指すというお話を
幼児教育関係の方に伺ったことがある。

美術家はその集中している個々の創造の時間を邪魔をしないように それぞれに
任せるがごとく距離を置く。制作過程も大事なアート活動であり 至福の時で
あると体感しているからであると思う。

 そして、至福の時間は流れできあがった作品はより個性的なものとなった。


色づいた障子紙の部分から色形を抜き出し創造して作品を生み出す人。
テーマが最初にありてそれに見合った素材探しをして生み出した人。様々。。。

ひとつはひとつ の時間が生み出された。



 最後は円になって作品の話をすることになった。円形にしたのはお互いの顔が
見え 話がそれぞれに届きやすいようにするためである。

 各々が作品の物語を綴ってくれた。
ぱっと作品を見て 感じることは多い。でもそこに作者の生きた言葉が添えられると
より共鳴する部分が増える。丁寧に言葉を紡いで言ったそのお話は気持ちが
込められていてひとつひとつから暖かみがにじんでくる。

 私が一言添えさせて頂きながら 作品発表は続く。各々の話を真摯に受け
止めようとする良い意味での緊張感があった。相手のこと・作品に対して心の窓を
開いている感覚。
同じ体験を通して 親近感が湧き 個人それぞれを優しく受け入れたい気持ちも
生みだされたのだろうか。

アートの力ってやはり偉大だな 人の心まで 変えるのだからと改めて実感した。

 この瞬間また 一旦ばらばらになった 個がひとつにまとまったように思う。
言葉を発している人の方に眼差しを向け 作品を見入る姿は みんなはひとつ 
の気持ちを描いた。

 〆は お菓子とお茶、Wi-CANのメンバーの手製豚汁が振る舞われる。
暖かいご馳走は充実した程よく疲れた体にまた新たなエネルギーを注いでくれた。

美味しゅうございました。

 皆さんの解散後、残って頂いたワークホーム里山の皆さんとWi-CANのメンバーで
撤収作業をする。この時間でまた、新たな心の交流を重ねられた様に思う。
床・壁の養生をはがされ Wi-CANPの日常が戻っていく。

 お別れの時、ワークホーム里山の方と向かいの駐車場に向かうまでの間、道路を
隔ててお盆キャッチボールごっこをした。目に見えないボール。
でも、お互いの心の中にはくっきり描かれているボール 早く飛んだり 
ゆっくり高く飛んだり 互いの動きを見ながらボールは行き来する。

こんなキャッチボールがアートを通じて参加者それぞれの心と心に
生まれてくれていたのだったらこんなに嬉しいことはない。

さようならが寂しかった。そして、また会える日を楽しみにしたいと思った。


 美術を通じての共育活動人 絵を描くものとして沢山のことを感じさせて
頂いた。


 ワークショップ当日まで山有り谷有りが多々あり 学生さんにとっても
私にとっても 悩みが生まれたこの度のイベントであったが それだけに
学びの多い出来事になった。

このような機会を頂けましたことを心より感謝しております。

 学生さんにとっても ”ごっこ”ではない、社会に響かせるワークショップを
築き上げることの難しさを感じて頂けたなら幸いである。


  参加者の制作中のまっすぐに進んだ力強いエネルギーが表れた美しい表情。
皆さんの澄んだ響き渡る明るい笑い声。
制作後の全てを出し切ったことで生まれる安堵の顔と充実した空気。
Wi-CANPが素敵な色に染められた時間だった。

このワークショップを成功に結びつけよう!というを思いを通じて 
Wi-CANのメンバーと私もみんなは ひとつ になれたのではないかと
思っている。



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